木村 優介 君(日本大学医学部 進学) お父様 木村 仁 先生(木村耳鼻咽喉科院長)
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木村優介君はメディカルマインドで学び、見事「日本大学医学部」に合格されました。早くも大学3年生になり、月日の経つ早さを感じております。本日は優介君のお父様で、木村耳鼻咽喉科医院長の木村仁先生に、メディカルマインド理事長の赤羽根が、優介君の医学部受験、そして現在の医学部生としての生活、さらには優介君の将来に対する思いを語っていただきたいと思います。お忙しい中、診療の合間の昼休みにインタビューの時間をとってくださいましたことに感謝いたします。 (2007年11月2日) |
A:赤羽根 K:木村仁先生
本日は、よろしくお願いします。
さて木村先生には、優介君のお兄さん、妹さんの3人のお子様がいらっしゃるわけですが、それぞれどのような道を歩まれていらっしゃいますか?
今春、3人の子供が全員大学生になりました。現在、優介の双子の兄の方は、岩手医科大の歯学部に行っております。優介は一浪しましたが兄の方は現役合格でしたので学年としては1年上、つまり4年生に在学中です。妹は昨年、津田塾大学のほうに進学しました。
三者三様の道を歩まれていらっしゃるわけですね。
その中で、優介君は医の道を志したわけですが、医学部を目指すと決心したのはいつ頃でしたか?
たしか高校2年生の夏頃だったと思います。
本人がある日突然、「医学部に行きたい」と言い出しました。
ご本人から?
はい。とはいえ、医学部を受験できるだけの素地があるのか、親としてはわからないところではありました。
そこで高校の担任の先生に面談という形でお話を伺いました。
高校は武蔵工業大学の付属高校でしたね。
はい。その際、担任の先生が「現役だと厳しいかもしれないが、何年かのうちには入れると思う。真面目だから。」と言って下さいました。というのも、中学、高校とずっと野球をやっていて、それまでは野球ばかりの生活でしたので。勉強は全くやっていなかったようです。私も、優介が中学生や高校生の時には「勉強しろ」「将来どうするんだ」など、そのようなことは何も言っていませんでした。医者になれ歯医者になれといったことは一言も言わないで、本人の方から言い出すのを待っていたわけです。結局、そのようなことは自分から言い出さないとダメだと思っていたので、それまではずっと黙っていました。
お父様とされましては、自分から言い出すまで待っていたということですね。
はい。野球で甲子園にでも行ければ、その道でも進ませようかなと(笑)だけどピッチャーをやっているとは言え、強豪校は沢山あるのでなかなか難しいですよね。そのとき本人は大学に入ってスポーツ医学をやりたいっていう話もしていたんですよ。スポーツ医学なら体育学部でもあるので特に医学部に行けとは言わずに、本人から医学部に行きたいと言い出すまで待っていました。
では、お父様とされまして特別に医学部に向けてのモチベーションをつくりあげていくために動かれたことや、方向性をお示しになられたことは特にはなかったということですね。
通っていた高校は、ある程度理系寄りでしたので、学校の方で考えてくれているみたいだったし、私の妻(優介の母)も考えているみたいだったので、私から強制して何かしたといったことはないです。医学部に向けていくとはいっても、そのようなことは強制してやるものではないと思っていましたので。
高校2年生の夏が過ぎた頃に本人が「医学部に行きたい」って私のところに来たので、それだったらがんばれ、という話はしました。でも医学部というのはただがんばっても簡単にいけるところではないし、成績も関係してくるので、勉強においては少しでもいい成績を取るようにと話しました。
高校の先生から「このまま頑張れば合格に行き着けるだろうから焦らずじっくりと」、といったアドバイスがあったということですね。
当時の担任の先生は非常に良い人でした。9割が工学部に行くといった環境で医学部に行く人数は少なかったわけですが、私が医者をしていたことも理解してくれていたみたいで、浪人をすれば医学部には行けるのではないかと太鼓判を押して下さいました。そこで無理だと言われていたら諦めていたのではないでしょうか(笑)
高校の担任の先生が優介君や親御さんに医学を志す勇気を与えてくださったことは貴重ですね。
年配の方で、優介の学年が一番最後だったようです。確か来年は定年だと話されていました。医学部に受かったと報告したら一番喜んでくれたと言っていました。
さて、高校時代の担任の先生のお励ましを胸に、医学部受験勉強をスタートされることになるわけですが、我が校に入校された経緯を伺いたく思います。特に、優介君の場合、保護者面談等は全てお父様がいらっしゃっていたようですね。
はい。私も現在医学部に通っている人を何人か知っていますし、また私自身大学病院に勤めていましたので、直前に入試を経験した先生に医学部受験について聞いてみました。その話の中で、医系学部を目指す予備校ではメディカルマインドがいいんじゃないかと紹介を受けたわけです。
兄のときには必ずしも受験がうまくいったというわけではなかったので、予備校選びには慎重になっていました。それでその紹介によってメディカルマインドの青山会長にお会いして話を聞きました。優介がもうすでに高校3年生のときです。
高校3年生の夏ごろでしたよね?
そうです。それまでは、夏期講習やなんかを除いては、塾などには行っていなかったんですよ。
では野球部を引退されて予備校に、ということですか?
そうです。引退したので予備校に通い始めようと思ったということですね。でも今から始めて現役で入れるかというと、医学部の場合厳しいので一浪二浪は仕方ないかなという感覚ではいました。案の定、現役ではうまくいきませんでしたね。浪人することになった際には最初からメディカルマインドの方にお願いするつもりではありました。
評判を基に来校してくださったわけですが、その後、木村先生の中で、「この予備校にまかせてみよう」ということを決定づけた事柄がございましたら教えて下さい。
入校してから現役の間は、「個別特訓」を受けたのですが、本当にきめ細かく指導していただきました。学習面だけではなく、モチベーションの維持といった点でも支えていただきました。
友達も何人かできていたみたいですしね。生徒数もそんなに多い予備校ではないですから、お互い切磋琢磨することができたのではないでしょうか。同じ志を持った友達がいたことは強みになったと思います。私も「大手予備校」など見に行っていたのでわかりますけど、あの大人数だと、ただただ勉強するだけですから1年間の間に友達はほとんどできないですよね。受験生の友達っていうのも非常に難しいんでしょうけど、やはり話す友達もいないと寂しいですよね。そういう意味で少人数制は良かったと感じています。
さて、メディカルマインドに入学される以前の高校生活と高校3年生の2学期以降、浪人も含めまして、木村先生からご覧になって優介君における大きな変化はございましたか?
夏の甲子園、部活の野球が終わってから受験まではもう半年しかありませんでした。
厳しくても、あわよくば現役で…と思ったので、半年間は、岩手医科大学の推薦入試も狙いながら「個別特訓」を組んでいただいて、学校が終わった後、数学と英語を徹底的にやってもらいました。行けるなら全ての時間を費やして行けと言っていましたね。
ええ、私も制服を着た優介君が「個別特訓」を受けていたのを覚えています。
英語は、現役の時から嫌いではなかったようでした。得意かどうかは別にしてね。英検もある程度取っていたみたいですしね。好きな科目ということもあり、「個別特訓」を受け始めるとすぐに、かなり成績が上がってきたような記憶があります。
そうでしたね。
9月から3月の受験直前まで受講していたと思います。かなり厳しいスケジュールだったような気がしますね。しかし残念ながら、やはり時間が短すぎて、現役合格には届きませんでした。
短期間とはいえ、我々も力及ばす申し訳なく思った次第です。ここから、優介君の「浪人生」としての生活がスタートしたわけですが、お父様からみて変わったなあという点は?
浪人の1年間は本当によく勉強していたと思いますよ。朝早くに登校して、毎日のように自習室で夜遅くまで勉強していました。自宅ではあまり勉強している姿を見ていないですね。だから予備校から帰ってくるのは毎日夜0時過ぎ。私も驚きました(笑)
当校では、9月を境に「前期」、「志望別傾向対策期」と区分けしたカリキュラムを編成しているのですが、とりわけ優介君に関して前期と志望別対策期の違いのようなものはございましたか?
前期は基礎固めを一生懸命やっていたという話を聞きました。夏前までは基礎が大事ですからね。
それから後半の傾向対策期には、前期で学んだ基礎事項を生かして更に発展的な内容に取り組んでいたようです。それから前期・傾向対策期の境、そして受験直前の区切りとしましては、毎回「特訓合宿」に参加していましたね。
たしかに優介君はすべての合宿に参加されました。合宿は最長2週間という相当厳しい内容のものとなっております。生徒たちの中には、夏はちょっとゆっくりしたいな…という思いが生じてしまうものですが、優介君の場合は?
私たち親から強く勧めるようなことはしていませんが、むしろ本人が「出られるものは全部出たい」と言ってきたので、私も「それなら出られるものは全部行きなさい」と話しました。本人も我々も「参加して当たり前」という意識かな。
なるほど。実際、過去を振り返ってみると、合格者の9割以上が特訓合宿参加者なんですね。そこで今年から、夏冬の合宿を年間カリキュラムの一環に位置づけました。
入試直前期はやはり先生方と一緒に過ごすに越したことはないし、また夏というのは家にいてもそんなに集中できるものではないから、みんなと一緒に切磋琢磨した方がいいですね。
さて、メディカルマインドでは、学生達に対しては、「コースマスター」や「学生サポーター」と呼ばれるスタッフが付いて、授業を行って勉強を教えるだけでなく、学習の仕方、学習習慣のつくり方、計画の立て方など、まさに「生涯にわたって役立つ学ぶ姿勢」を伝えることを常に意識しています。また学生のみならず、保護者の皆様方に対しても、「保護者アドバイザー」が付いて、お子様の教育、受験にまつわるあらゆるご相談に乗らせていただいております。この点につきまして、なにか印象に残っている点がございますか?
息子はもちろんですが、父親として私自身が、学校に色々と相談に乗ってもらったので、非常に助かった記憶があります。そういう意味で、このサポートシステムはすばらしかったと感じています。
やはり医学部受験の場合、保護者として心配なのは成績以外の点、併願対策とか、学費とかね、いろいろありますからね。医系学部専門の予備校なら、様々に飛び交う噂のたぐいではなく、正確な情報を教えてくれるのでは」っていう期待がありました。そして面談などを通して期待通りの対応をしていただいて本当に助かりました。やはり受験は子供だけでもダメですし、親だけでもダメですから。みんなで一緒に考えていかないと。
これを結んでくれるのが先生方。だから予備校に行ったら、そこの先生方と信頼しあわないとダメですよね。その点、心からメディカルマインドを信頼しきってお預けしていたというのが私の率直な気持ちです。
それは大変光栄なことです。おっしゃる通り、保護者の方々のご協力なくして医学部受験に成功はありません。学校がどんなに厳しく接しても、ご家庭でそれに反するようなご指導をされてしまえば、すべてが無駄になってしまいます。その点、ご家庭での優介君に対する接し方についても、お聞かせ頂けますか。
はい。やはり浪人生は精神面でも難しいことが多いですよね。浪人生のことに関しては予備校であるメディカルマインドの方が専門ですから、指導とかそういったことはすべてお任せして、親としては、医者としての仕事を楽しそうにやっていればいいのではと考えておりました。
医者の子弟で医学部に行く家庭を見ていると、やはり親が楽しそうに仕事をしていますよね。それが一番ではないでしょうか。親がつまらなそうに仕事をやっていると子供も医者になろうとは思わないですし。楽しそうに仕事をしている姿を親が子供に見せる。それはみなさん言っています。「医者になればこういう生活ができるんだぞ」といった極端なことをするのではなく、ただ自分が楽しそうに仕事をすることを心がけていました。
非常に良いお話ですね。
受験生として、普段は遅く帰ってきますので「接する時間」はほとんどありませんでした。だから少しでも余裕のある時期などは、ゴルフに連れていったりしていました。受験生だからといって毎日勉強に集中できるわけではありませんから。高校生のときにはさすがにゴルフはあまりやっていなかったですが、浪人してからは休日に教えたりしていました。
ご家族でゴルフをやっていらっしゃるということは、優介君の方から伺っております。
先日もOB会のゴルフコンペで腕前を披露されていました。
そうですか(笑)自分が、医師として働くことで得ている生活・人生のありがたみ、喜びといったものを感じてほしかったんです。
なるほど。今後は保護者面談の際に「成績を上げるには、お父様、お母様、どうぞ楽しんで下さい」といったことを申し上げていきたいと思います。
親が一緒になってカリカリしていると子供はもっとカリカリするかなと思ったので、なるべく楽しそうに、といった形で接していました。
話は変わりますが、優介君が合格されまして、我が校の「合格祝賀会」にご両親揃ってご参加頂きました。
そうですね。妻と一緒に行かせて頂きました。
親子三人での晴れやかな笑顔を拝見でき、私どもも非常にうれしかったことを覚えております。そこで、奥様、優介君のお母様についてですが、彼が受験生の間、お母様はどのような接し方をされていたのかをお聞かせいただけないでしょうか?「受験生の母親としての役割」といったことで参考にさせて頂ければと思います。
私は両親二人で優介に色々言ったりすることは一番悪いパターンだと思っていました。なので、父親である私は一切何も言わず、母親である妻が、成績のことなどで優介が落ち込んでいるときに励ましたりしていたみたいです。
成績にも波がありますからね。それに関しては一回一回言わなかったみたいです。高校の先生にも言われたとおり「現役では入れなくても、この成績なら一浪すれば入れる」って言ってくれていた言葉を信じて、妻の方も、大きく構えて、あまり厳しく言うことはなかったようです。
お父様とお母様の暗黙の役割分担に支えられ、医学部受験という難関を突破し、日本大学医学部に入学されたわけですが、医学部生になられてからの優介君の生活や内面の変化などについて、お伺いしたく存じます。
そうですね。大学生活は非常に楽しくやっているみたいです。浪人生活はどうしても切羽詰まっていますし、厳しいものだから、大学に入学してからは余裕も生まれて楽しんでいるみたいですよ。クラブ活動も野球部に所属して一生懸命やっているようです。
医学部の勉強の大変さ、試験の厳しさといった意味ではむしろ受験より大変なのかな…と思いますね。その中で、浪人生の時と医学部の学生では、むしろ医学部の学生の方が内面的に強くなっているのかな…と感じることもあるのですが。
内面の変化というのは…特に感じられないですね。成長していないという意味ではなくて、むしろ「浪人時代に培った強さ」が軸にあるから、それに基づいて日々学んでいる感じかな。医学部の場合、少しでも手を抜くと留年してしまいますから、勉強の方はしっかりやっているみたいで、そこにも浪人時代の勉強方法とか姿勢が生きていると私は思っていますけどね。
浪人生の時に厳しい勉強を通して内面的な精神力といったものを鍛えることができたのだとしたら、我々予備校教育に携わっている者といたしましてこれほど嬉しいことはありません。
現役で医学部に入るのは一番理想ですけど、やはり浪人して医学部に入ってくる学生の方が苦労している分、強いなと感じることはあります。現役で入ると、挫折したとき立ち直れなくなる人もいるみたいですしね。浪人している人は大学に入るまでに苦労している分、強いのではないでしょうか。
医学部の勉強は生半可ではありませんし、常に留年の危機がそこにあります。そういった厳しい世界で生きていく中で、浪人して精神的な強さを持つことができたことは決してマイナスではないと思います。だからといって浪人がいいというわけではありません(笑)ただ、大学に入って挫折してあとに引けなくなるんだったら、その前に苦労して精神的に強くなることもマイナスではないということですね。
話は変わりますが、普通、予備校というところは受験が終了した時点で「去っていく」ところです。
しかしメディカルマインドには他の予備校と違い、OB会(「医志会」)というのがあるのですがご存知でしょうか?優介君も、中心メンバーとしてこの活動に加わっていらっしゃり、親睦会から医学英語などの勉強会、さらにメディカルマインドでのアルバイト、例えば合宿でのサポートなども含めて、当校での受験生の指導にもご尽力いただいているところです。親御さんとされましては、どのような感想をお持ちになりますでしょうか?
はい、OB会のことはもちろん知っています。
大学生の本分としては、もちろん大学での勉強や活動がメインになるとは思いますが、各大学に散らばっている昔の友達と互いに集まって語り合うことは、とても有意義なことではないかなと思います。
また余裕があるときには、OBとして、スタッフとして、お世話になった予備校においてアルバイトをするということも、これから先、大学間でのネットワークを作るといったことにおいても大切なことだと思いますね。
学年があがって国家試験に近づいてくると、なかなか行けなくなってしまいますから、今のうちは各大学の人と交流を持つことで様々なことを吸収していってほしいと思っています。自分の受験体験を後輩に語り継いでいくことも重要なことではないでしょうか。
今まで様々なお話をお聞かせ下さいましたが、ここで木村先生とされまして、将来の優介君に求める医師像をお聞かせ下さい。
病院に来た患者さんに対して相慈しむことのできる医者になって欲しいと感じています。患者さんは病院に来るとき、何らかの痛みをもって、辛かったりしている場合が多いわけです。その時に、患者さんに対して優しい言葉をかけてあげるということが重要だと思います。つまり患者さんの気持ちになって考えるということですね。
根本的には、病気を治すことが医療において重要なこととなりますが、そのときに主体は医者ではありません。あくまでも患者さんなのです。病院に来たときと、帰るときでは心持ちが違うって感じさせてあげることが重要だと思います。簡単なようで難しいことです。
そうですね。
そういった意味でも重要なものは言葉です。病気を治すだけではなく、苦しみを抱えた患者さんに言葉をかけてあげることでそれを少しでも和らげてあげようとすることも医者としての役割ではないでしょうか。
それが優介君に対する願いということですね。
そうですね。愛情のある医者になってもらいたいです。
最後になりましたが、今後、医療系学部入試を控えている受験生の保護者の皆様へ、メッセージをお願いいたします。
受験、特に医系学部の受験は大変だと思いますが、親として大切なことは、ゆとりを持った気持ちで受験生である子供に接するということです。先ほども申し上げましたとおり、子供は親が楽しそうに仕事をしている姿を見て自分の道を見つけ出すものです。子供と接する時間が少なくなってくる分、時間があるときはなるべく親の働いている姿を見せた方がいいと思います。
そうすることで受験生としてモチベーションもあがってくるのでは、ということですね。本日は素晴らしいお話を伺うことができ、本当に感謝しております。ありがとうございました。
ありがとうございました。
Y・K 君(東邦大学医学部 進学) お母様 合格校:東邦大学医学部 最終合格、岩手医科大学医学部 一次合格
現在、東邦大学医学部3年に在籍しておりますY・Kの母です。息子Kの受験に際しては、担任だった原田先生はじめメディカルマインドの先生方に大変お世話になりました。我が家の長男Kが医学生になれたのは、「本人の努力」に加え「先生方のご指導と励まし」があったからこそだと今でも心より感謝いたしております。
高校時代のKはテニス少年で、平日は毎日夜遅くならないと帰宅せず、休日も一日中テニスコートで過ごし、前も後もわからないくらい真っ黒でした。成績は推して知るべし、散々なものでした。高校の個人面談で、「現役で入れそうな大学」として提示されたのは、学部はなんであれ新設の聞いたこともないような大学名ばかり。
「将来どうするの?」と心配していたところ、高3の秋も涼風が吹きだした頃、ある日突然「医学部に行きたい!」と言い出し周囲を驚かせたものでした。
とはいえ、あらためて問い質してみれば、医学部受験に必修の数ⅢCは履修してない し、家庭科やら体育やら受験科目には使うことのできない選択科目ばかり取っていたのでビックリするやらあきれるやら。
でもその実、私は心から嬉しかったことを覚えています。小児科医である父の後ろ姿を見ていたのだなあと。
主人も私も、Kを含む息子たちに「医者になりなさい!」とは、なるべく言わないように心がけてきたつもりです。しかし周りの人たちからは、「K君はやっぱり医者になるの?」と聞かれたり、そういう目で見られることがとてもいやなようでした。一方で、自らの意志で「医学部に行きたい」という気持ちが芽生えた頃には成績があまりに悪く、とても素直に言い出すことができなかったようです。
さて、それからが大変でした。高校の担任の先生からは「医学部合格まで最低でも3 年はかかる。」と言われた成績で最初の受験に臨み、ひとまず4校ほど受験し、もちろん結果は出ず、早々に予備校探しを始めました。いくつかの予備校を見学してまわりましたが、縁あってメディカルマインドにお世話になることが決定しました。
予備校が決まるとすぐ3月下旬から上京し、最初はウィークリーマンションに1週間、その後予備校生専用の学生寮に入りました。上京する時は高速バスの予約を2 人分。帰りは1 人。帰りの車中では、涙がポロポロこぼれました。あの子一人で大丈夫だろうか?本当に医学部目指して頑張っていけるのだろうか?まわりの皆さんについていけるのだろうか?食べることは等々、不安で不安でたまらず―。
かくしてKの医学部受験生活が始まりました。本人いわく、春のオリエンテーション合宿では、「まあこんなもんかなあ」という程度で特に驚きも感動もなかったけれど、いよいよ新学期の授業が始まり、初日月曜日の1 時間目。後に担任となって頂いた原田先生の一番初めの英語の授業はまさに目からウロコ!だったそうです。「人間どうして勉強しなければいけないのか。」この意味が生まれて初めて腑に落ちてわかり、またさらにもっと深く考えるきっかけを与えていただいたようです。「勉強しなければいけない!このままではいけない!」と思ったそうです。その後は2・0あった視力がみるみる下がり、1・0、0・5に下がり、勉強すると本当に目が悪くなるものなのだなと感心するやら、あきれるやら―。
そんなこんなしているうちに、初夏には「保護者面談」があるということで上京し、Kの勉強の様子はもちろん、生活の状況も分かり、春に比べると私も少し落ち着くことができました。その後、1年を通して数回行われる保護者面談のたびにお話を伺ったり、またそれ以外の時でも、色々な不安を電話やメールで聞いて下さった原田先生は心から感謝しております。Kの成績の上昇や、不安や頑固さからくる暴動に、一緒に怒ったり泣いたり笑ったり…まるで戦友みたいでした。
それにしても携帯のメールに大分助けられました。先生との「ホットライン」としてはもちろんのこと、K本人に特に用事はなくても何となく励ましのメッセージを伝えたいときなどとても役に立ちました。直接的に「頑張ってね!」とは書かず、家の事や弟たちの他愛もない事を書くよう心がけたつもりです。
今思えば、Kの予備校での1年目は、事実上初めて学ぶ数学や化学など「高校の授業」の分。2年目がいわゆる「受験勉強」の分だったのでした。お盆も田舎には戻らず、予備校の合宿や講習に通い詰め、出願のため受験料振り込む初冬の頃まで一度も帰省せず頑張っていました。
英語、生物は本人も好きな科目だったので、早くから成績にも表れ伸びてきました。一方で、数学、化学は中々数字にも表れず停滞し、焦る時期もあったようです。そんなKを先生方は上手に励まして下さり、医学部受験に向けて志を高く持てるようご指導下さりました。ただただ、感謝です。
おかげで、高校の先生には3年かかると予言されていたところを、予想外に2年で合格通知を頂くことができました。
2浪目の一番最初に来たI医科大学の一次合格を知らせる電話には、涙が出るほど、義母(Kの祖母)と抱き合って小躍りするほど、嬉しかった事を今でもはっきり覚えています。電話の向こうで本人も泣いているのがよく分りました。「本当によくやった!」と褒めたものです。その後の東邦大学の合格が、言葉にできないくらい嬉しかった事は言うまでもありません。長男であるKを出産し、初めて腕に抱いた時の次に嬉しい出来事でした。
大学3年生になった今でも、メディカルマンドの先生方には“人生の師”としてお世話になっているとKから聞いています。今後ともよろしくご指導のほどお願いいたします。予備校時代、人生これ以上勉強したことがないというほど勉強したと思っていたが、医学部の勉強はそれ以上にハードだと、Kは言っております。「医師になる」と言う目標に向かって、予備校時代に鍛えた集中力で頑張って欲しいと思います。願わくば、大学の授業料の振込、絶対に後3回で終わりにして欲しい!(笑)
O・A さん(東邦大学医学部 進学) お母様 合格校:東邦大学医学部 最終合格、聖マリアンナ医科大学 一次合格、金沢医科大学医学部 一次合格
メディカルマインドにお世話に成りましたのは、娘が高校二年の春でした。当時の娘はまだ、医師に成る強い志はなく、親と同じ道へと、流されるように進んでいた感じが致しました。
「高校に近くてクラブ活動を続けても通えるから」と、本人がパンフレットを私共に差し出しました。とはいえ、運動クラブの激しい練習の後の授業と、ましてや、強い意志にも欠ける娘の現役時代の受験結果は言うまでもございませんでした。
高校の卒業式、謝恩会では進学も決まり満面の笑みの友人の中で、笑顔を作る娘の姿がありました。高校という温室から卒業したものの、来春には、大学に進める保障はなく、きっと心細く不安で一杯だったことと思います。
しかし、それからの一年は、今までにない、娘の成長を感じることができました。先生方のご熱心なご指導はもちろん、精神的なお励ましを頂き、娘はこの日々の中で医師になりたかった自分を再認識でき、強い志を持つように成りました。
日々の講義はもちろん、夏冬の合宿も、予備校での授業とは環境も気分も異なり、充実していたと申しております。予備校の正規開門時刻に先んずること1時間半、清掃スタッフの方が自習室を空けてくださる7時から、閉門する22時迄、時間を惜しむように努力する娘の姿に、私共ができることは、ただ励ますことだけでした。
帰宅し、軽食をとりながら、先生に質問に行ったら、こんな冗談を言って楽しかった等々、辛い浪人時代でしたが、お優しい先生方にどんなに救われていたことでしょう。
又、私共が感心致しましたのは、会長先生、理事長先生、担任の先生の個人面談をして頂けることでした。子どもの受験が初めての、何もわからない私共にとりましては、細かなご指導を頂き、本当に心強かったです。
娘は、医師を志すことが叶い、勉強に大好きなテニスにと思い切り頑張って、有意義な大学生活を送らせて頂いております。今さらではございますが、先生方には、心より感謝申し上げております。ありがとうございました。
O・Aさんへの一問一答
(1)医学部を志した理由は?
医師である父や祖父の後姿をみて育ったため。
(2)メディカルマインドに入学した理由は?
現役時代、高校に近かったから。
(3)今、どんな大学生活を送っていますか?
勉強以外は、毎日すごく楽しいです(笑)
(4)将来のビジョンは?
新生児医療に携わりたいと思っています。
